2008年11月15日
私のスタート1~1998年2月13日~
私の本当の人生は、沖縄で始まりました。
それは、
1998年2月13日、那覇市の与儀公園。
私が沖縄に着いた日でした。
鹿児島港から那覇新港(安謝)に着いた日。それが1998年2月13日。
私は、右も左もわからず、とりあえず歩き続けました。
夕方4時か5時くらいだったでしょうか。
今思えば、安謝から、楚辺の裁判所通りのあたりまで歩き、たどり着いたのが与儀公園でした。
今思えば、なぜ、沖縄だったのかわかりませんが、
自分の人生を“なんとかしたかった”のです。
私は、大学には、すんなり入ったものの、自分の進むべき方向性を見失っていました。
1年以上にわたる引きこもりだったでしょうか。何をしていいかわからず、何もやる気が起きなかったのです。
「自分はこの先どうやって生きていけばいいのだろう?」
アパートの中にこもって、ミスチルやスピッツを聴いていても答えが出てきません。
心は慰められますが・・・。
「よし! 沖縄に住もう!!」
決断したのは1998年2月11日の夜中でした。
私の中で、沖縄とは、「戦争と平和」というイメージでしたでしょうか。
戦争=米軍基地、その頃、沖縄の米軍基地の問題は、ニュースなどで目にするようにはなっていました。
そして、安室奈美恵、SPEED、MAXやDA PUMPといった沖縄のアーティストが華々しく活躍する頃でした。
でも、どっちかというと、「戦争」というイメージだったかもしれません。
私は、「戦争」のイメージに、故郷の広島と重なり合わせていました。
広島と似たような面影を、沖縄という場所に対して抱いていたのかもしれません。
だから、自分の新たなスタートの地として、沖縄を選んだのでしょう。
夜中の与儀公園。
私は、与儀公園で、一夜を明かすつもりでいました。
すると、私に近づいてくる初老の雰囲気の男。
酒を飲んで酔っているのでしょうか。
彼は、私に話しかけます。
「しんさんて人見なかった?」と。
私は、「うーん、わからないっすね。」
なぜか、話は、進み、私が仕事を従っていることへと流れていったのです。
この人が、沖縄最初の仕事を紹介してくれるなどと思いもよらず・・・。
それは、
1998年2月13日、那覇市の与儀公園。
私が沖縄に着いた日でした。
鹿児島港から那覇新港(安謝)に着いた日。それが1998年2月13日。
私は、右も左もわからず、とりあえず歩き続けました。
夕方4時か5時くらいだったでしょうか。
今思えば、安謝から、楚辺の裁判所通りのあたりまで歩き、たどり着いたのが与儀公園でした。
今思えば、なぜ、沖縄だったのかわかりませんが、
自分の人生を“なんとかしたかった”のです。
私は、大学には、すんなり入ったものの、自分の進むべき方向性を見失っていました。
1年以上にわたる引きこもりだったでしょうか。何をしていいかわからず、何もやる気が起きなかったのです。
「自分はこの先どうやって生きていけばいいのだろう?」
アパートの中にこもって、ミスチルやスピッツを聴いていても答えが出てきません。
心は慰められますが・・・。
「よし! 沖縄に住もう!!」
決断したのは1998年2月11日の夜中でした。
私の中で、沖縄とは、「戦争と平和」というイメージでしたでしょうか。
戦争=米軍基地、その頃、沖縄の米軍基地の問題は、ニュースなどで目にするようにはなっていました。
そして、安室奈美恵、SPEED、MAXやDA PUMPといった沖縄のアーティストが華々しく活躍する頃でした。
でも、どっちかというと、「戦争」というイメージだったかもしれません。
私は、「戦争」のイメージに、故郷の広島と重なり合わせていました。
広島と似たような面影を、沖縄という場所に対して抱いていたのかもしれません。
だから、自分の新たなスタートの地として、沖縄を選んだのでしょう。
夜中の与儀公園。
私は、与儀公園で、一夜を明かすつもりでいました。
すると、私に近づいてくる初老の雰囲気の男。
酒を飲んで酔っているのでしょうか。
彼は、私に話しかけます。
「しんさんて人見なかった?」と。
私は、「うーん、わからないっすね。」
なぜか、話は、進み、私が仕事を従っていることへと流れていったのです。
この人が、沖縄最初の仕事を紹介してくれるなどと思いもよらず・・・。
Posted by coda at 05:13│Comments(0)
│沖縄生活