2009年03月14日

狭間(はざま)

「狭間(はざま)」。

この言葉を、私はよく意識してしまいます。

・「ろう者(耳が聴こえない人)」と「聴者(耳が聴こえる人)」の狭間
・「障がい者」と「健常者」の狭間
・「沖縄」と「本土」の狭間

それらを、意識的にか無意識的にかはわかりませんが、考えてしまいます。
本当は、そんなことは、まったく大したことない問題なのかもしれません。
しかし、厳然として「壁」は存在しているような気がします。

「どうして、私は、耳が聴こえているのだろう?」などと思うことがよくあります。
こんなことを両親に言ったら、悲しむかもしれませんが、どうしてもそう、考えてしまいます。


もちろん、耳が聴こえる、声を発することができる、ということは、ありがたいことには違いありません。

しかし、音が聴こえるということは、聴きたくない「音」も聴こえてくるということでもあります。
たまに、そんな、聴きたくない「音」を聴いたとき、耳をふさぎたくなったりします。

「隣の芝は青く見える」とは、このことなのでしょうか・・・。

私は、なぜか、「狭間」を生きています。
耳の不自由な両親のもとで生まれ、そして、遠く離れた沖縄に引き寄せられてしまった。
なぜ、沖縄に来てしまったか?
自分でも不思議なくらいです。
たぶん、そこに「居場所」があると思ったのでしょう。

私に何ができるのか・・・?

答えはなかなか出てきませんが、何かはできるかもしれません。



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この記事へのコメント
おひさしぶりです。こちらも随分あたたかくなってきました。

さて。「狭間」というとなんだか両者に圧迫されて窮屈な感じがしないでもないですが、両者の境界線上にいて、両方のことを見渡せる、どちらの気持ちも理解できる、ということではないでしょうか。だから、両者のつなぎ役とか、通訳、みたいな役割をはたせる。両者の関係をよくする、潤滑剤、みたいな、そんな存在。逆にいうと、そんな役割は自分にしか果たせない…。

おこがましいかもしれませんが、ボク自身、ある意味よく似た立場にいて、よくそんなことを考えます。コーダさんが自然に果たしている役割は、意識しているかどうかにかかわらず、けっこう大きなものがあると思いますよ。
だから、…マイペースでいきましょうよ。(^-^)
Posted by okuuda at 2009年03月17日 15:29
okuudaさん、励ましのお言葉をいただき、本当にありがとうございます。

そうですね~、マイペースがいいですよね。


ついつい、あせったりしてしまいがちですが・・・。
あせっても、あまりいいことはないかもしれませんね。

okuudaさんも、似たような立場にいらっしゃるとのこと。
お互いに、ぼちぼちと行きましょう!(^_^)
Posted by coda at 2009年03月17日 18:42
 
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