2013年09月10日
私の大学時代
私の大学時代・・・
はっきり言って、1つも良い思い出は無いと言っても過言ではないかもしれない。
大学時代にやったこと・・・。
それは、ダイエット、それから過去18年間の自分自身への決別といったところであろうか。
私は、18年間広島の片田舎で育った後、京都の同志社大学へと進む。
本来は、地元広島大学へ進むはずだった・・・。
ずっと、広島にいて、耳の不自由な両親の面倒を見るように
幼い頃から教え込まれていたから。大学も広島で・・・というのが当然の思いだった。
しかし、運命のいたずらか、それとも私の勉強不足か、広島大学は不合格。
たまたま、「記念」のつもりで受けた同志社大学には合格。
何の保証もない浪人生活の道は選ばず、
同志社大学へ進学することとなる。
思えば、私の流浪の日々のスタートである。
大学初日、私を待っていたのは、果てしない絶望感だった。
「どうしてこんな所にきてしまったのだろう・・・。」そんな気持ちだった。
キャンパスは、バブル時代の余韻を残す浮ついた雰囲気。
当然のことながら、私には、それがまったく馴染めなかった。
そして、私が取り組んだのは、ダイエットだった。
生産的なことがダイエットしか思いつかなかったのである。
大学入学当時の私の体重は120キロ。
どう見ても、キャンパスの雰囲気からすると浮いていた。
「絶対に痩せてやる。そして、今までとは違う自分になってやる。」
そんな気持ちだった。
そんな私が目標としたのは、1週間に1キロ痩せることだった。
1日ご飯は1.5合。それを2食に分けて食べる。おかずは普通に食べるが、
絶対に間食はしない。
暇さえあれば、5キロ×2個のダンベルを使って筋トレ。スクワット100回×3。
腹筋100回×3。足上げ。すべて室内で体を動かした。
暇さえあれば、体重計に乗っていた。
1か月4~5キロ減のペースで減量し続け、1年後には70キロを切っていただろうか。
今思えば、かなり過酷なダイエットだった。最高で私の体重は58キロまで減少した。
ピークから比べると半分以下ということになる。
あまりお勧めできるダイエット法ではないかもしれない。
事実、ダイエット後に、免疫がガタ落ちしたのか、38度以上の高熱に苦しめられることとなる。
ただ、湧き上がるエネルギーが私をダイエットへと駆り立てた。
当然ながら、見た目も地元広島にいる頃とは、まったく「別人」になっていた。
ある種の達成感はあった。しかし、「満たされぬ」思いは続いた。
大学時代は、自分探しの模索の日々だった。
「何か大きな事をやってみたい。」「社会を変えるようなことをしてみたい。」
などと理想は持ってみるものの、理想と現実の大きなギャップの中で、ずっと
もがき続けて、大学時代は無為に過ぎていく。
気づけば、私はいつの日からか、下宿のアパートに引きこもるようになっていった。
はっきり言って、1つも良い思い出は無いと言っても過言ではないかもしれない。
大学時代にやったこと・・・。
それは、ダイエット、それから過去18年間の自分自身への決別といったところであろうか。
私は、18年間広島の片田舎で育った後、京都の同志社大学へと進む。
本来は、地元広島大学へ進むはずだった・・・。
ずっと、広島にいて、耳の不自由な両親の面倒を見るように
幼い頃から教え込まれていたから。大学も広島で・・・というのが当然の思いだった。
しかし、運命のいたずらか、それとも私の勉強不足か、広島大学は不合格。
たまたま、「記念」のつもりで受けた同志社大学には合格。
何の保証もない浪人生活の道は選ばず、
同志社大学へ進学することとなる。
思えば、私の流浪の日々のスタートである。
大学初日、私を待っていたのは、果てしない絶望感だった。
「どうしてこんな所にきてしまったのだろう・・・。」そんな気持ちだった。
キャンパスは、バブル時代の余韻を残す浮ついた雰囲気。
当然のことながら、私には、それがまったく馴染めなかった。
そして、私が取り組んだのは、ダイエットだった。
生産的なことがダイエットしか思いつかなかったのである。
大学入学当時の私の体重は120キロ。
どう見ても、キャンパスの雰囲気からすると浮いていた。
「絶対に痩せてやる。そして、今までとは違う自分になってやる。」
そんな気持ちだった。
そんな私が目標としたのは、1週間に1キロ痩せることだった。
1日ご飯は1.5合。それを2食に分けて食べる。おかずは普通に食べるが、
絶対に間食はしない。
暇さえあれば、5キロ×2個のダンベルを使って筋トレ。スクワット100回×3。
腹筋100回×3。足上げ。すべて室内で体を動かした。
暇さえあれば、体重計に乗っていた。
1か月4~5キロ減のペースで減量し続け、1年後には70キロを切っていただろうか。
今思えば、かなり過酷なダイエットだった。最高で私の体重は58キロまで減少した。
ピークから比べると半分以下ということになる。
あまりお勧めできるダイエット法ではないかもしれない。
事実、ダイエット後に、免疫がガタ落ちしたのか、38度以上の高熱に苦しめられることとなる。
ただ、湧き上がるエネルギーが私をダイエットへと駆り立てた。
当然ながら、見た目も地元広島にいる頃とは、まったく「別人」になっていた。
ある種の達成感はあった。しかし、「満たされぬ」思いは続いた。
大学時代は、自分探しの模索の日々だった。
「何か大きな事をやってみたい。」「社会を変えるようなことをしてみたい。」
などと理想は持ってみるものの、理想と現実の大きなギャップの中で、ずっと
もがき続けて、大学時代は無為に過ぎていく。
気づけば、私はいつの日からか、下宿のアパートに引きこもるようになっていった。
Posted by coda at 00:12│Comments(0)
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