2013年09月03日
私の生い立ち1~祖父の想い出~
昨日9月2日は、私の父方の祖父の命日だった。
あれは、確か、私が小学校3年生の頃だっただろうか。
思えば、1984(昭和59年)年9月2日は、私の転機だった。
広島カープが全盛期で、その年も優勝。日本一を飾った年だった。
私はまだまだ幼く、物心もつかないような時期だったが、
祖父のぬくもりはいまだに、心に残っている。
年に2回、お盆と正月にしか祖父とは会えなかったが、
無条件に私を愛してくれていたという、あたたかい気持ちを持った。
今も、その頃のぬくもりが私の心を支える。
私が見た祖父の最期の姿は、あまりに痛ましいものだった。
末期の肺がん。
呼吸もままならず、痰がのどにつかえ、看護師さんに吸引されていた姿が
目に焼き付く。
9月2日。その日は、祖父の容体が思わしくないということで、
父と母と私の3人で新幹線で朝から、駆けつける。
同じ広島県内でありながら、電車と新幹線を乗り継ぎ、片道1時間半はかかる。
病院には駆けつけたものの、ずっと病院に滞在するわけにもいかず、
ひとまず帰宅。
そこに、祖父が亡くなったとの知らせ。
私は、何が起こったのかわからなかった。
ただ、自分の中で、何かが大きく変わりそうな感じを幼心に感じていた。
思えば、その頃から、私の長きにわたる「引きこもり」が始まったのかもしれない。
ひょっとしたら、現在も、ある種の「引きこもり」なのか・・・・・・。
両親を除き、祖父だけが、私を無条件に受け入れてくれる大人のように感じていたからかもしれない。
あれは、確か、私が小学校3年生の頃だっただろうか。
思えば、1984(昭和59年)年9月2日は、私の転機だった。
広島カープが全盛期で、その年も優勝。日本一を飾った年だった。
私はまだまだ幼く、物心もつかないような時期だったが、
祖父のぬくもりはいまだに、心に残っている。
年に2回、お盆と正月にしか祖父とは会えなかったが、
無条件に私を愛してくれていたという、あたたかい気持ちを持った。
今も、その頃のぬくもりが私の心を支える。
私が見た祖父の最期の姿は、あまりに痛ましいものだった。
末期の肺がん。
呼吸もままならず、痰がのどにつかえ、看護師さんに吸引されていた姿が
目に焼き付く。
9月2日。その日は、祖父の容体が思わしくないということで、
父と母と私の3人で新幹線で朝から、駆けつける。
同じ広島県内でありながら、電車と新幹線を乗り継ぎ、片道1時間半はかかる。
病院には駆けつけたものの、ずっと病院に滞在するわけにもいかず、
ひとまず帰宅。
そこに、祖父が亡くなったとの知らせ。
私は、何が起こったのかわからなかった。
ただ、自分の中で、何かが大きく変わりそうな感じを幼心に感じていた。
思えば、その頃から、私の長きにわたる「引きこもり」が始まったのかもしれない。
ひょっとしたら、現在も、ある種の「引きこもり」なのか・・・・・・。
両親を除き、祖父だけが、私を無条件に受け入れてくれる大人のように感じていたからかもしれない。

Posted by coda at 09:40│Comments(0)
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