2008年11月14日
コーダって・・・?
コーダ(Coda=Children Of Deaf Adults)とは、耳が不自由な両親から生まれた、耳の聴こえる子どものことである。
そう、私は、コーダなんです。
両親は、ともに耳が不自由。
皆さんは、TBS系(沖縄だとRBC)で今年の7月23日に放送していた2時間のドキュメンタリー番組
「風の歌が聴きたい」
をご存知でしょうか?
耳の不自由な両親と耳の聴こえる息子の3人家族が、トライアスロンを通じて、家族の絆を取り戻していく姿が描かれていました。
この、3人の家族と似たような感じです。
ちなみに、私の両親は、団塊世代の人間(父:60歳、母:59歳)です。
ただ、違うのは、私のところは、私の思春期の頃(今から20年位前)は、あまり手話を使わなかったことでしょうか。
昔(私の両親が子どもの頃)は、ろう学校では手話教育が制限、あるいは禁止されていたそうです。あまり、私も詳しくは知らないのですが・・・。手話を使うと、社会に出て、耳の聴こえる人とコミュニケーションがとれなくなるとの理由で、「あまり手話は使うな!!」という教育だったそうです。
今では、考えられないような話なのですが。
だから、思春期の頃の私と両親の会話は、身振り手振りと口話(こうわ)と筆談でした。
大変恥ずかしい話ですが、私は、沖縄で生活するようになるまで、あまり、両親のことを他の友人や知人に知られたくないという思いがどこかにありました。
中学校の頃の担任との面談の際、「両親のことを友達に知らせたいですか?」と聞かれ、「知られたくないです」と私は答えました。どこかで、後ろめたい気持ちはあったのですが、おそらく、好奇の目で見られたり、差別的な扱いを受けたくなかったのでしょう。
今は、私自身、沖縄で社会の厳しさを痛感することで、両親の偉大さを感じています。
私の両親は、「自分の誇り」と胸を張って言えます。
父は、鉄工所の溶接工一筋40年、母は、専業主婦。
二人は支えあって、私を育て、生き抜いてきました。
私の社会保険労務士としての原点は、この、耳の不自由な両親にあります。
「父や母のように、体にハンデを負っていても、一生懸命頑張れば、報われるような社会であって欲しい」「正直者が馬鹿を見ない社会であって欲しい」との祈りが、自身の7回に及ぶ転職経験と結びついた結果、私は社会保険労務士へと導かれた気がします。
「コーダ」とは、耳の不自由な人と、耳の聴こえる人の両方を行き来している存在ではないかと思っています。
でも、自分としては、心情的には、耳の不自由な人に近いかな・・・。
本当は、わかりきることはできないのですが・・・。
こんな、「コーダ」としての特性を、社会保険労務士として活かせたらいいな、って思います。
そう、私は、コーダなんです。
両親は、ともに耳が不自由。
皆さんは、TBS系(沖縄だとRBC)で今年の7月23日に放送していた2時間のドキュメンタリー番組
「風の歌が聴きたい」
をご存知でしょうか?
耳の不自由な両親と耳の聴こえる息子の3人家族が、トライアスロンを通じて、家族の絆を取り戻していく姿が描かれていました。
この、3人の家族と似たような感じです。
ちなみに、私の両親は、団塊世代の人間(父:60歳、母:59歳)です。
ただ、違うのは、私のところは、私の思春期の頃(今から20年位前)は、あまり手話を使わなかったことでしょうか。
昔(私の両親が子どもの頃)は、ろう学校では手話教育が制限、あるいは禁止されていたそうです。あまり、私も詳しくは知らないのですが・・・。手話を使うと、社会に出て、耳の聴こえる人とコミュニケーションがとれなくなるとの理由で、「あまり手話は使うな!!」という教育だったそうです。
今では、考えられないような話なのですが。
だから、思春期の頃の私と両親の会話は、身振り手振りと口話(こうわ)と筆談でした。
大変恥ずかしい話ですが、私は、沖縄で生活するようになるまで、あまり、両親のことを他の友人や知人に知られたくないという思いがどこかにありました。
中学校の頃の担任との面談の際、「両親のことを友達に知らせたいですか?」と聞かれ、「知られたくないです」と私は答えました。どこかで、後ろめたい気持ちはあったのですが、おそらく、好奇の目で見られたり、差別的な扱いを受けたくなかったのでしょう。
今は、私自身、沖縄で社会の厳しさを痛感することで、両親の偉大さを感じています。
私の両親は、「自分の誇り」と胸を張って言えます。
父は、鉄工所の溶接工一筋40年、母は、専業主婦。
二人は支えあって、私を育て、生き抜いてきました。
私の社会保険労務士としての原点は、この、耳の不自由な両親にあります。
「父や母のように、体にハンデを負っていても、一生懸命頑張れば、報われるような社会であって欲しい」「正直者が馬鹿を見ない社会であって欲しい」との祈りが、自身の7回に及ぶ転職経験と結びついた結果、私は社会保険労務士へと導かれた気がします。
「コーダ」とは、耳の不自由な人と、耳の聴こえる人の両方を行き来している存在ではないかと思っています。
でも、自分としては、心情的には、耳の不自由な人に近いかな・・・。
本当は、わかりきることはできないのですが・・・。
こんな、「コーダ」としての特性を、社会保険労務士として活かせたらいいな、って思います。
Posted by coda at 19:09│Comments(4)
この記事へのコメント
こんばんわ!手話禁止の話は初めて聞きましたビックリ(・_・) 文面からですがコーダさんの豊かな表現、人柄がわかります♪素敵なご両親に育てられたんでしょうねo(^-^)o
Posted by ちれおさま at 2008年11月14日 19:26
コメントありがとうございます。
手話禁止というのは、私の母方の祖母が、
私の幼い頃、徹底して「手話は使うな」って言ってたので、強く印象に残ってるんです。
べつに、祖母が悪いわけではなくて、教育が、そういう考え方の時代だったんですよね。ようやく、手話も市民権を得つつあるなって思います。
手話禁止というのは、私の母方の祖母が、
私の幼い頃、徹底して「手話は使うな」って言ってたので、強く印象に残ってるんです。
べつに、祖母が悪いわけではなくて、教育が、そういう考え方の時代だったんですよね。ようやく、手話も市民権を得つつあるなって思います。
Posted by coda
at 2008年11月14日 19:38

はじめまして。
私も去年と今年、社労道をやっていましたが、去年のcodaさんの解答数、正解率にはただただ驚くばかりでした。
いったい、どんな人なんだろう、と思っておりましたが、この記事を読んで感銘いたしました。codaというハンドルネームにも、そのような深い意味があったとは、全く想像もできませんでした。
今後も、いろいろ参考にさせてください。宜しくお願いします。
私も去年と今年、社労道をやっていましたが、去年のcodaさんの解答数、正解率にはただただ驚くばかりでした。
いったい、どんな人なんだろう、と思っておりましたが、この記事を読んで感銘いたしました。codaというハンドルネームにも、そのような深い意味があったとは、全く想像もできませんでした。
今後も、いろいろ参考にさせてください。宜しくお願いします。
Posted by okuuda at 2008年11月27日 21:33
okuudaさん、ありがとうございます。
返事が遅くなって申し訳ありません。
okuudaさんのお名前は、「社労道」でもよく拝見していましたよ。okuudaさんも、頑張って、合格されたようですね。おめでとうございます。
私自身も、社労士としてはまだまだ駆け出しで、これからなんですけど、なんとか、軌道に乗せたいと思います。
okuudaさんもこれから大変かとは思いますが、頑張ってくださいね。
私自身も、「社労道」の仲間が頑張っているかと思うと、とても励まされます。
返事が遅くなって申し訳ありません。
okuudaさんのお名前は、「社労道」でもよく拝見していましたよ。okuudaさんも、頑張って、合格されたようですね。おめでとうございます。
私自身も、社労士としてはまだまだ駆け出しで、これからなんですけど、なんとか、軌道に乗せたいと思います。
okuudaさんもこれから大変かとは思いますが、頑張ってくださいね。
私自身も、「社労道」の仲間が頑張っているかと思うと、とても励まされます。
Posted by coda at 2008年11月28日 17:26