狭間(はざま)
「狭間(はざま)」。
この言葉を、私はよく意識してしまいます。
・「ろう者(耳が聴こえない人)」と「聴者(耳が聴こえる人)」の狭間
・「障がい者」と「健常者」の狭間
・「沖縄」と「本土」の狭間
それらを、意識的にか無意識的にかはわかりませんが、考えてしまいます。
本当は、そんなことは、まったく大したことない問題なのかもしれません。
しかし、厳然として「壁」は存在しているような気がします。
「どうして、私は、耳が聴こえているのだろう?」などと思うことがよくあります。
こんなことを両親に言ったら、悲しむかもしれませんが、どうしてもそう、考えてしまいます。
もちろん、耳が聴こえる、声を発することができる、ということは、ありがたいことには違いありません。
しかし、音が聴こえるということは、聴きたくない「音」も聴こえてくるということでもあります。
たまに、そんな、聴きたくない「音」を聴いたとき、耳をふさぎたくなったりします。
「隣の芝は青く見える」とは、このことなのでしょうか・・・。
私は、なぜか、「狭間」を生きています。
耳の不自由な両親のもとで生まれ、そして、遠く離れた沖縄に引き寄せられてしまった。
なぜ、沖縄に来てしまったか?
自分でも不思議なくらいです。
たぶん、そこに「居場所」があると思ったのでしょう。
私に何ができるのか・・・?
答えはなかなか出てきませんが、何かはできるかもしれません。
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